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アレスト性とは?−アレスト試験

東京大学大学院
川畑 友弥

1. ぜい性亀裂伝播および停止の物理

「アレスト性」はarrest property、arrest toughnessをそのままカタカナとして日本語にしたものである。arrestは、「停止状態にする」という意味を持つ英単語である。心停止のことをcardiac arrestと呼ぶことからもそもそもの意味が理解できるだろう。犯人を動けない状態にすることから転じて逮捕するという意味で使われることがあり、この用例が我が国では特に有名である(図1)。さて、本稿で言う「アレスト性」は鋼のぜい性亀裂伝播停止特性のことである。亀裂の動き(伝播)を停止させるということであるが、どのような現象を指すのだろうか。詳しく理解しておこう。

図1 Arrested=逮捕済み

次の動画(動画1、動画2)を見てみよう。薄い鋼板を支点で支えハンマーで中央部を叩いてみると、通常は変形するだけである。しかし、常温でも極めてもろい低品位の鋼板(内部欠陥などが多く通常は用いられないもの)を使った場合には、ハンマーで叩くとまるでガラスのように簡単に二つに割れてしまう。分離した二つを突き合わせると元の一枚の鋼板の形が復元できる。このように殆ど塑性的な変形を伴わない破壊のことをぜい性破壊と呼ぶ。

動画1 通常の鋼鈑では変形のみ
(図をクリックすると動画が再生します)

動画2 もろい鋼材で起こるぜい性破壊
(図をクリックすると動画が再生します)

この破壊現象は一瞬で起こっているため、肉眼ではその詳しい順序などは判別できないが、高速度カメラ撮影によるスローモーションや破断面の痕跡などから、割れ(以降は破壊力学の用語に従い亀裂と記載)は一か所で発生し、全体に大きな変形が生じる前に亀裂が高速で拡がっていくことで最終的に分離に至っていることが判る。また、この亀裂の伝播速度はかなり高速であることが知られており、鋼の場合には毎秒数百から千m程度である。大気中を音が伝わる速さよりも速い。何故このような時間スケールで現象が起こるのかは、亀裂の力学、つまり破壊力学の考えを基礎として理解を試みなければならない。

弾性的に変形する物体の内部に平面亀裂が含まれているケースで、亀裂が開く方向に物体の外側から力が作用している状況を想像してみよう。本講座の破壊力学(WE-COMマガジン第28号)で説明されているように、このような状況における静止亀裂回りの応力の高まりは、亀裂に近づけば近づくほど大きくなり、理想弾性体では無限大まで発散する。鋼材では、ある程度応力が上昇したところから降伏が起こるため、実際に無限大の応力が発生することはない。この亀裂先端付近の応力の高まりがこの亀裂を伝播させる駆動力として働く。亀裂先端には高い応力が負荷され、ゴムのように伸び、ひずみエネルギーが特に高密度状態で蓄積しているものの、材料が十分に粘り強い場合には、変形するだけで破壊は起こらず、そのままである。ここで、亀裂先端近傍の材料が引張応力に負けて破壊する場合について図2を使って考えてみよう。図2は一定の引張力が負荷された板状の試験片や構造物のごく一部にある板厚貫通型の亀裂の様子を示していると考える。

図2 亀裂伝播後の亀裂面移動時刻歴変化模式図

破壊が発生する前の状態①では、前述の通り、亀裂先端に高い引張応力が作用している。次に、僅かの距離dAだけ亀裂が伝播したことを考える(状態②)。この時、亀裂伝播に要する時間は考えず時刻ゼロの時点で瞬間的に亀裂が伝播し、その後、亀裂はdAだけ伸びたところで停止し続けるとする。時刻ゼロで亀裂が開口しているので、その瞬間では亀裂は既に生成しているものの、応力分布は状態①から変化していない。亀裂伝播から僅かな時間経過したときの状況を状態③に想定している。二つの亀裂面の間に存在していた結合力を全く失ってしまっているので、引っ張られていた亀裂伝播部の上下の領域の弾性材料が元の長さに戻ろうとし、結果として開口は徐々に進むはずである。伸ばしたゴムにハサミを入れたときの微小時間経過時の挙動である。その後、十分に長い時間が経過すると、状態④に示すように全ての運動は停止し、静的なバランスに落ち着く。亀裂伝播が微小であることを考慮すると、新しい亀裂近傍は殆ど①の状態と同一であり、再び破壊力学で記述される応力場が形成される。②の伝播の瞬間から④の静的バランスに到達するまでの挙動は主に応力集中位置の移動に要する時間により決まっていると言っても良い。固体表面を弾性波が伝わる速度はレーリー波と呼ばれ材料の密度と弾性係数で決定される量であり、固体中を伝わる応力波速度と同オーダーであることが知られている。つまり、鋼において実験的に観測される数百〜千m/sという速度は材料の応力波速度に由来しているということになる。